身長152㎝の独り言

気まぐれなオタクの覚え書きです。

楽しかったー!虎者2021ー!! 〜初めて生でアイドルを見た〜

11月某日、私は新橋演舞場にて虎者NINJAPAN2021を観劇した。
そこで、タイトルの感想である。非常に楽しかった。というか、幸せだった。凄かった。綺麗だった。頭が静かにパンクした。放心していた。
 
正直、虎者観劇に対する私の感想が「楽しかった」で合っているのかは今でもよくわからない。いろんな感情が湧き出てきたようで、意外にも終演後の私は落ち着いていたし、観劇の前と後であまり変わっていない。
それでも、あの約110分間が最高な時間だったことは確かだし、幸せを感じさせてもらった。その思いと記憶を、朧気ながらも記しておこうと思ってパソコンを立ち上げた。
ちなみにこの記事はタイトルを思いついたことから始まっている。中身はまだ決まっていない。今これを打ち込んでいる私も、読んでくださっている方同様この先何がつづられるのか分からない状況である。そんなんでいいのか。……まあ、いいでしょう。趣味のブログだし。ということで、たぶんグダグダになるであろうブログの始まりだ。
 
 
 
 
 
さて何を書こうかと考えたところで、一番最初に出てきたのはやっぱり「如恵留くんが美しかった」ということだ。
いやまぁなんかびっくりしたよね、如恵留くんって美しい(事実)。彼の美しさなんて知ってるつもりだったけど(何せ彼の美に殴られてオタクになったのだし)想像以上にというか、カメラの角度とか雑誌の編集とか、そんな人工的なフィルターを介さなくたって如恵留くんは本当~~に美しかった。それが知れただけでも生観劇した甲斐があったというものだ。
ちなみに、私の席からは、照明が明るいと肉眼でもギリ顔が見えた。本当にギリだけど、双眼鏡を構えずに舞台に目を凝らして、「如恵留くんの顔だ~~~~~!」と思って感動した。
本当に、目が大きくてキラキラしてて、顔が小さくて、金髪が透明感あって唇が赤くて、可愛かった。……と、思い出しながらニヤけました。如恵留くんずっと顔が可愛かった。my sweetである。…………恥ずかしい、前言撤回、我らがVenusと呼ぼう。
 
そんなVenus、美しさはもちろん顔にはとどまらない。所作、動作、すべてが美しかった。
何よりバク宙。そもそも数えていないし覚えていないので正確な回数はわからないけれど、たぶん少なくとも3回くらいは披露してくれた如恵留くんの得意技。いや、マジで…………自担、翼だったんか……?軽やかで滑らかで美しすぎないか?
 
全体を通して、如恵留くんの動きは「滑らか」という言葉が似合いすぎると思った。途切れなく、最も美しく見える道筋を迷いなく、よどみなく流れていく一本の水流のような動きだった。自担、清流??
もしくは一枚の布のようだとも言える。穏やかな風になびく上質なベール。見事に操られる新体操のリボン。織姫の頭上に円を描いている帯状のアレ(名前がわからない…)。風に抵抗することなく形を変え、見る者の目を奪うやわらかな布。自担は天の羽衣の擬人化でしたって言われても納得するほかない。
 
うーーーん!伝わっているんだろうか、私の目に映った如恵留くんの美しさが。
私は語彙力が乏しいので比喩を用いることで必死に伝えようと試みているんだけど、いかんせん語彙が足りないので「アレ」とか言い出してしまう。比喩とは。
とにかく如恵留くんは翼であり羽根であり羽衣であり清流である。どこを切り取っても例外なく美しいその姿は、動きは、ジャズとバレエを始め彼の子どものころからの努力の賜物なんだと思ったら、本当にすごい。ありがとう如恵留くん………(ここで涙を一つ)
 
 
 
 
 
ふぅ。
終演直後から書き溜めていたメモを見返したら、如恵留くんのスタイルの良さをめちゃくちゃ叫んでいた。首の長さから脚から、「究極に美しい人間の形だ」って喚いていた。
だよね、わかる。もちろん主観ですよ。美の最上級なんて人それぞれ感性によって違うんですから。
ということで話題を変えよう。
 
メモにはストーリーやパフォーマンスのことについても書いてあったけど、ここでは触れないことにする。私よりずっと正確な記録を残している方がいらっしゃるだろうし、書きだすとキリがないので。
となると、あと私が書いておきたいテーマは「初めて生でアイドルを見た」ことになる。
生身の、実際に生きている、俗にいえば”三次元の”アイドルを推すことについての私の一筋縄ではいかない感情については、これまでもブログで書いてきた。
私はずっとアイドルを生で見ることが怖かった。生で、私の肉眼でなんのフィルターもメディアも介さずに見てしまったら、その人が「生きている一人の人間である」ということを認めなければならない。実際のところそれは私が認めようが認めまいが変えようのない事実だし、生観劇をする前からそれは分かっていたしその事に気を付けてオタクをしてきた。少なくともそのつもりである、そうあれるように意識している。
でも、それとこれとはちょっと違う感覚で。
その紛れもない事実を文字通り目の前に突き付けられたら私は怖くなると思っていたのだ。
 
私はめんどうくさいオタクだ。アイドルに対して真っ向から「好き」と言うことに抵抗がある。その人の本当のところなんて何も知らないのに「あなたが好き」だなんてなんと無責任な、とか考えてしまうオタクである。だから私はあくまで「アイドル・〇〇が好き」だとしか言えない。そう、「idol(アイドル:英.偶像)」に向かって私は「好き」を想い、伝えてきたのだ。
でも、ライブの、または舞台の会場で見るのは紛れもない本物、実像である。この「変化」が私は怖かったのだ。ジャニーズのファンになってから約3年、ずっと怯え続けてきた。虎者観劇の当日も得体の知れない恐怖があって、新橋演舞場の前を3回くらい素通りした。ファミマの前で途方に暮れたものだ。SNSでずっと私の呻きを聞いてくれた友人には感謝している。
 
でも、もちろんすっ飛ばすわけにはいかないので勇気を振り絞って入場した。そして観劇した。
 
 
何かが変わったか?
 
 
いや、変わらなかった。
如恵留くんは美しかったし、トラジャのパフォーマンスは圧巻だったし、そこから受け取る幸せもいつもと変わらずあたたかだった。
生で見ても、推しは相変わらず「推し」だった。
 
ちょっと話がずれるが、私の中で「推し」と「自担」は少し違う概念として存在している。
もともと二次元からオタクになった私は、「一番好きな子」=「推し」として認識していた。その「推し」とは、ひたすら可愛くて、愛でて、いつまでも変わらない(…二次元なので)存在である。視線は私からその子への一方通行だ。
ジャニーズのアイドルを好きになってからも私のその感覚は変わらなかった。グループで一番好きな子のことを「推し」と呼んでいた。
でも、今の私にとって如恵留くんは「自担」である。「推し」みたいにひたすら愛でて眺めるだけじゃない。元気や幸せをもらって、アイドルから伝えてくれる言葉が嬉しくて、それに返したいと、アイドルにも喜んでほしいと思う。……それは、明らかに一方通行ではない。「アイドルとファン」という特殊な方法だけれども、双方向のやり取りが成立している。如恵留くん、これが「相乗効果」ってやつなのかな、とか(心の中で)問いかけたりする。
 
 
 
さて、話を戻そう。
「推しは相変わらず『推し』だった」と書いた。上記の推しと自担の概念の違いを考慮したうえでの「推し」である。
 
一つだけ、胸がいっぱいになってたまらなかった話をさせてほしい。
カーテンコールの時だ。如恵留くんが手話で「ありがとう」をした。
上手にいた如恵留くんが、上手の観客に向かって丁寧なお辞儀をして、そして優雅で慈愛の象徴みたいな「ありがとう」をしたのだ。
その姿は私の目に飛び込んできた。目の前には人がたくさんいて見えにくかったけれど、そこだけがフォーカスが当たって切り取られたように記憶に焼き付いた(おかげで前後の記憶は飛んだ)。
一瞬で胸がいっぱいになって、混乱のあまり泣きはしなかったけど、なんかもう信じられないような気分だった。うそ、すごく嬉しかった。傲慢だけれど、如恵留くんも見てくれているんだと思ったら、なんか、もう…………、だめよね。後日思い出してちょっと泣いた。すごく「幸せ」だった。
 
これは「推し」には抱かない感情である。やっぱり如恵留くんは私にとって「自担」だ。如恵留くんからのアクションを受け取ることがすごく嬉しい。そのアクションがファンに向けたものであると(……その「ファン」の中には私も含ませてほしい)、余計にうれしい。その点で如恵留くんは「自担」だ。そうと生観劇を通して実感、確信した。
 
でも、やっぱりアイドルは遠い存在なのだとも同時に感じさせられた。如恵留くんの「ありがとう」に胸がいっぱいになって、混乱して、でも咄嗟に「返さなきゃ」と思った。私も、私からも如恵留くんに感謝を伝えたい。手話、全然勉強してないけど「ありがとう」は分かる。返したい。
そう強く思って、願って。私も小さく「ありがとう」をした。
 
その時には、如恵留くんはもうこちらを見ていなかった。当たり前だ、お客さんは上手以外にもたくさんいるのだから。曲は止まらない。決められた次の動きだってあっただろう。……あいにく次に何をやっていたかは記憶から抜け落ちているけれど。
でも、それでよかった。それがよかった。
すごく幸せだった。満ち足りていた。心の中にやわらかな光が灯されて、じわじわとあたためられていくようだった。
 
やっぱり、一方通行なのだ。私から如恵留くんへの思いは簡単には伝わらない。
でも、きっとそれがすべてじゃない。
私の小さくした「ありがとう」は如恵留くんには届かなかったかもしれないけど、私は如恵留くんが好きで感謝をしていてオタ活を通して応援していて、それは他のファンの人たちの思いと一緒に間接的に届いているはずで、(なんなら虎者に観劇に行ったことも「好き」の現れであって)、そして私は如恵留くんの「ありがとう」を受け取った。
これは、「アイドルとファン」の双方向のやり取りだと言っていいんじゃないか?
私の手話が届かなかったことは大した問題じゃない。あの時私が抱いた「ありがとう」の思いは、今でも私の心の中に残っていて、「如恵留担」という花の栄養になっている。循環している。
大きな大きな感謝だ。
 
 
 
 
 
ああ、困ったことに私はこのブログをどうやって終わらせたらいいのか見当がつかない。
もう何週間も前のことを思い出しながら書いていたらそれなりに特大感情になってしまって収拾がつかなくなってしまった。今リアルタイムのことを話すと、20時30分を過ぎたところである。木曜日である。大変だ、とらちゅーぶを見たい。今日は何かな。
 
…………うん、やっぱりこの辺りで終わるとしよう。
突発的に書き始めたブログだが、書きたいことはだいたい書けた気がする。感情のままに綴ったので、読みにくいところや誰かの気に障るようなことを書いていたら申し訳ない。
最後になってしまったが、これはあくまで「私の主観」であることは強調させてください。もっと気楽にアイドルオタクをやっていいんですよ、と私は思います。もちろん考えることは大切だけれど、変に考えすぎも良くなくて……う~ん、何と言ったらいいのかな。素直に「好き」を伝えていいんじゃないかな、と私は思います。
これは自分に対しても、ね。素直に「好き」だと言っていいんだよ、自分。
 
 
 
最後に、アクスタが可愛く撮れてお気に入りの写真と、観劇メモの最後に記してあった感謝の文を張り付けて終わりにする。
 
f:id:evening152:20211216210643j:plain
 
 
f:id:evening152:20211216210711j:plain

 

 
それではっ!皆さんご一緒に……!
 
 
 
楽しかったーー!
 
虎者NINJAPAN2021~~~!!!!!!!
 
 
 
2021.12.16